格調高い古民家を再生、イベント開催やカフェでにぎわい生まれる
vol.50 特定非営利活動法人華の幹(はなのき) さん
古民家再生の過程もイベントに、ファンが仲間になって再生進む

木造の門を超えると、約700坪の敷地に立派な屋敷が現れます。
軒下に目をやれば、三段の軒、広い土間、太い梁や鴨居、二つある床の間ーー。
贅を尽くした造りが、この家の「格の高さ」を物語っています。
ここは、特定非営利活動法人華の幹さんが再生、活用している古民家(旧青木邸)。明治40年に建てられた母屋と明治2年に建てられた土蔵が、保存されています。
この古民家は、華の幹さんの代表・飯塚さんの義祖母(おばあちゃん)の実家。おばあちゃんの介護をする中で、「実家が心配」という声を聞き、関心を持ち始めたそうです。
20年弱空き家の状態だったその古民家は当時、庭に草木が生い茂り、雨戸も壊れ、「ボロ家」とも言われていたそうです。
しかし、割れたガラス戸から家の中を覗くと、立派な梁が目に入りました。
「これって古民家じゃん」
飯塚さんは資料館でも、これだけの梁は見たことがないと思ったそうです。
「東京の核家族」出身という飯塚さんの目には、テーマパークで展示されているような貴重な建物に映ったのです。
その後、筑波大学の教授に確認してもらったところ「これは大事にしてください」と言われ、残すことに決めました。
今では「古民家」と言えば、日本の伝統的な生活を垣間見られる貴重な建物というイメージが湧きますが、当時の小田地区では馴染みのない言葉でした。
「古民家(こみんか)を再生します」というと「公民館(こうみんかん)を再生してどうすんだ」と言われる始末。
家族も地域の人たちも半信半疑。
ただ、「やるなら手伝うよ」と家族。当時の区長たちも、民家の整備は「地域の防犯上うれしい」と応援してくれたそうです。
最初は、女5人でゼロ予算から再生活動をスタート。ハンドクラフト作家の仲間が集まり、古民家の掃除が始まりました。
掃除にかかる費用には作品を売って得た収入を充て、電気も水道もないので、雨水で掃除をしていたそうです。
最初は、灰色と白の世界だったという屋内。石と思って磨いていた床から、木目が現れることも。
メンバーで磨いていくうちに、贅沢を尽くした「しつらえ」が姿を表してきました。
「古民家の再生の過程もイベントにしちゃおう」と掃除の様子は、動画で撮影して発信。さらに「ボロボロの状態でもオープンして、見てもらっていた」と人を呼び込みました。
「イベントをやると、お客さんが仲間になって、人が増えると再生も進められる」と飯塚さん。いつの間にか仲間は、幼児から80代までと多世代にわたっていました。
当初5人だったメンバーは、一時2人になるものの、古民家を見に来た人たちが次々とメンバーに加わることで、2年目には十数人にまで増えていたそう。イベントを通じて寄付も集まるようになり、2013年に特定非営利活動法人となりました。
モノを寄付してくれる人も度々いたそう。使わなくなった雨戸やガラス戸、障子、畳など資材も集まってきました。
「地域から信頼してもらえるように」と区長が意識的に出入りしてくれるようにもなったそう。写真展の開催もしてくれ、地域からの認知度も上がっていきました。
ちなみに、華の幹さんの「幹」は、おばあちゃんの名前である「幹(もと)」から名付けたそうです。
おばあちゃんが残した遺産は、地域の宝となって活気を生み出しています。
再生活動のDIYや伝統文化の体験で地域への愛着を育む

華の幹さんは2011年3月1日に設立し、約10年かけて古民家を再生させました。
DIYがモットーで、全部自分たちの手で掃除や修理を行ってきました。「業者に頼めばもっときれいにはできるけど、自分たちで工夫してやってきたから大切にしようと思える」と飯塚さんは語ります。
華の幹さんが設立当初から貫いているのは、「古民家を“生きたまま”引き継いでいく」という考え方。見るためだけに綺麗に整えられた古民家にするのではなく、人の営みが感じられることを大切にしています。
「壊れたら直せばいい」と再生するとともに、挑戦的な活用を続けてきました。
これまでに開催してきたイベントは40種以上。
三味線やギター、ジャズの演奏会、フラダンス、寄席、演劇、陶芸展、写真展、そば打ち体験など多種多様な企画を展開。関わってきた人たちは、スタッフを含めると「一万人を超えるかな」と振り返ります。
活動に弾みがつくきっかけとなったイベントの一つに「能に親しむ会」があります。
ことの発端は、飯塚さんの縁で開催していた「能面展」。すると「能面を付けて踊ったら?」という声が上がったそうです。
勢いで能の公演を準備し始めたところ、観世流能楽師で重要無形文化財総合指定保持者の高梨良一さんをはじめとする観世流の能楽師たちが協力してくれることに。
当初は予定になかった舞台が必要になると、メンバーが「造ろう!」と言い出して、古民家の隣にヒノキの能舞台をつくることになりました。
客席は500席もある、超大型イベント。土台を廃材でつくり、舞台に描く松は自分たちで描いたそう。
初年度は、公演の3週間前から雨が降っており、舞台の仕上げの作業が当日までできない事態に。公演当日も雨。しかし、高梨さんが小田に到着するころには、奇跡的に雨と強風がやみ、満天の星空が広がりました。
会場にできた水たまりは、スタッフがスポンジで泥水を吸い出して整え、無事開幕。大盛況に終わり、「華の幹」さんの活動は広く知られるようになりました。
そんな怒涛の開幕を迎えた「能に親しむ会」はその後、8回開催。子どもたちが参加する演目もあり、地域で伝統文化と伝統建築に親しむ機会にもなったのです。
新型コロナウイルスの流行の影響もあり、今後は開催する予定はないそうです。しかし、このイベントを通じ、地域への愛着や伝統文化への親しみは、子どもたちや地域住民の心に残り続けています。
能にも参加していた飯塚さんの息子さんは、学生団体「Lens」を立ち上げ、小田のまちづくりへ関わり始めています。
華の幹さんは、小さいこどももできる範囲で一緒に活動するのが特徴。こどもたちは、多世代のメンバーから可愛がられて育ち、次世代の担い手へと成長しています。
古民家を通じた交流が、子どもたちや地域への愛着も育んでいたのです。
カフェとしての活用がスタート、NPOは後方支援に集中

2024年のゴールデンウィーク、古民家に「慈久庵ガレットカフェ華」がオープンしました。
一時は新型コロナウイルスの流行で古民家の活動を縮小していましたが、感染拡大が落ち着き、新しいカタチでの運営にシフト。「理想の形になってきた」と飯塚さんは話します。
カフェは、NPOとは別組織。同じ古民家を活用して共存している関係です。本格的なガレットや旬の果物を使ったパフェなどを提供しており、「NPO職員ではつくれない美しい盛り付け」(飯塚さん)で人気のカフェへと成長しています。
食材は地産地消にこだわっており、取材の日に食べたシャインマスカットは小田産。ほかの季節には、小田産のモモやイチジクも提供されるそうで、小田地区の6次産業も担っています。
本格的なガレットが食べられる店は珍しく、ガレットを食べにわざわざ県外からやってくるファンもいるそう。慈久庵のそば粉を使っており、そばファンにとっては垂涎の一品です。
店長はフランス・ブルターニュで開催する世界大会の出場を見据えているそうで「日本一のそば粉で世界一を目指したい」と話します。
華の幹さんではこれまで、度々観光客や登山客が「カフェやってますか?」と訪れることがありました。小田には人気が高まっている宝篋山の登山口や「つくばりんりんロード」があることから観光客が訪れるスポットです。そんな立地の関係で、「カフェの需要があることはわかっていて、構想は昔からあった」と飯塚さんは語ります。
そこで、キッチンを少しずつ整備。下水、上水、水洗トイレなどカフェを開店するための課題を一つずつクリアし、オープンにこぎ着きました。
これまでは、華の幹さんが、オーナー(旧青木邸所有者)に家賃を支払ってきましたが、カフェがオープンしてからは、カフェが家賃や光熱費を負担。華の幹さんは維持活動などの後方支援に集中することができるようになったのです。
「古民家を再生保存したあと、『再生してどうする?』という問題があります。維持するにも費用がかかるという問題もありますし、NPOは収益活動を主体にできません」(飯塚さん)
再生した古民家がカフェとして活用され始めたことで収益が生まれ、地域を活気づける装置としてそのポテンシャルを存分に発揮するようになったのです。
「つくば市は、ポテンシャルのある空き家がほかにもある。上手く活用して、周辺で連携していけば、もっと観光地になるはず」と地域の未来に思いを馳せます。
慈久庵ガレットカフェ華
営業時間:水・木・金・土・日・祝日 11:00~15:30

この記事に関するお問い合わせ先
市民部 つくば市民センター
〒305-0031 つくば市吾妻一丁目10番地1
電話:029-855-1171 ファクス:029-852-5897
 
       
             
           
             
           
           
           
           
       
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更新日:2025年09月26日