がんを知るきっかけを、チャリティーウォークで想いをつなぐ
vol.49 リレー・フォー・ライフ・ジャパンいばらき さん
人生に祝福を、愛する人に追悼を、がんに立ち向かう勇気を

会場に鳴り響く拍手の中を、がんサバイバー(がん経験者)やその家族の方々が確かな足取りで進むーー。
世界中に輪を広げるチャリティーウォークイベント「リレー・フォー・ライフ」が8月10日、つくばカピオのアリーナで開催されました。
この活動は、アメリカの腫瘍外科医が1985年、アメリカ対がん協会への寄付を集めようと24時間走り続けたことから始まりました。
カピオのアリーナには、会場をぐるっと一周するコースが、ルミナリエで形づくられていました。ルミナリエは、がんで亡くなった人や闘病している人へのメッセージが書かれた袋で、内部に明かりを点すことができるイルミネーション作品です。
コースのスタート地点には、紫色のバルーンで作られた大きなアーチが設置され、サバイバーの方々が次々とくぐり抜けてスタートを切りました。
サバイバーによる1周目のウォークが終わると、がん患者やその家族のサポートや、がんの啓発に取り組む団体や企業も続きます。ウォーク参加者は、団体ごとに横断幕やのぼり旗を持って歩き、メッセージを発信しました。
イベント参加者が代わる代わる歩き続け、日が沈んでもウォークの輪は続きました。
イベントを彩る紫色(ドーンパープル)は夜明けの空の色を象徴。不安な夜を過ごす患者さんに寄り添う意味が込められています。
夜になると「ルミナリエセレモニー」を開催。
ルミナリエに灯りが点り、会場が幻想的に照らされました。
会場には、イスとテーブルのセットが配置されています。これは「エンプティーテーブル」と呼ばれ、会場に来ることができない、旅立った人たちのために用意されているそう。
ウォークや優しい明かりを通じ、参加者が愛する人たちをしのんだり、未来への決意を新たにする時間になりました。
がんを知るきっかけを広げたい

「私は白血病が再発して、骨髄バンクがなければ命もありませんでした。がんは白血病だけではない。このイベントでがんについて知ってほしい」
そう挨拶したのは、リレー・フォー・ライフ・ジャパンいばらき実行委員会で実行委員長を務める松岡さん。
「リレー・フォー・ライフ・ジャパンいばらき」は、新型コロナウイルスの流行を境に活動が止まっていました。しかし、今年から松岡さんを先頭に新しいメンバーで再スタートを切りました。
実は、つくばは全国で初めてこのチャリティーウォークイベントを開催した「聖地」と言われています。
このイベントは、つくば市も共催となっており、五十嵐市長は「一人で悩みを抱え込まず、正しい情報を得られるようにすることを広げていくことが大切」と呼び掛けました。
「キックオフ」と銘打って開催した今回のイベント。
市外や他県でチャリティーウォークイベントを行うメンバーも、茨城の活動を後押ししようと参加。「つくばの皆に会えてよかった」と祝福し合いました。
松岡さんも「無事にできてよかった。人とのつながりができた」と話します。
がんについて興味を持たなければ、深く知ることもありません。
松岡さんはイベントの企画・運営を通じ「はじめは、がん患者のためだけというイメージがありました。しかし、サバイバーのためにするだけでなく、他の人に知ってもらう機会にすることが大切だと思いました」と話します。
「知るための入口が狭いと思うので、その入り口を入りやすいものにしていきたい」
松岡さんは新しいメンバーとともに今後を見据えます。
突然の告知、もっとやりたいことをやっておけば良かった

実行委員長の松岡さんは、白血病を経験したサバイバーです。
松岡さんが体調の異変に気付いたのは、社会人になって3年目の頃でした。
週末になると発熱し、鼻血が止まらなくなることも。また、貧血で立っていられないほどの目まいが襲いました。
病院に行くも体調は一向に改善せず、ある日テレビを見ているときに、目の前が真っ赤になったことをきっかけに、精密検査をすることに。
そこで医師から告げられたのは「急性骨髄性白血病」。
そのまま入院し、抗がん剤治療が始まりました。
「なぜ自分が」
抗がん剤治療で、一時は退院したものの、少しでも熱がでると「再発したのではないかと心の余裕がなく、未来への展望も持てなかった」と振り返ります。
社会復帰から1年後に再発。抗がん剤から骨髄移植に治療法を切り替えることが決まりました。
当時、松岡さんは骨髄移植は成功しないイメージだったそう。「骨髄を提供してくれる人に頼るしかない。自分の力ではどうにもできない」という無力感があったそうです。幸いにもドナーが見つかり、骨髄移植を受けることができました。
闘病生活を通じて、松岡さんが強く思ったのは「バスケとか、やりたいことをもっとやっとけば良かった」という後悔だったそうです。
松岡さんは牛久出身のバスケ少年。高校時代は全国大会に出場した実力者です。
辛い骨髄移植を乗り越えてからは、尋常ではない体力の低下を補うためのリハビリを兼ね、バスケを再開しました。
3x3(スリー・エックス・スリー/3人制バスケ)の大会に出場すると、全国大会出場権を獲得。その後、プロチームから声がかかり、一度は諦めたプロバスケットボール選手の道に進みました。
リレー・フォー・ライフ・ジャパンの活動は全国で広がっていますが、やり方は地域それぞれ。松岡さんは「バスケのイベントをやってみたい。3x3は、観客と選手の距離が近くて、見ている人も興奮する」と声を弾ませます。
日本人の2人に1人が一生のうちで何らかのがんにかかると言われています。自分のためにも、たいせつな人のためにも、知る一歩を踏み出してみませんか。
この記事に関するお問い合わせ先
市民部 つくば市民センター
〒305-0031 つくば市吾妻一丁目10番地1
電話:029-855-1171 ファクス:029-852-5897
 
       
             
           
             
           
           
           
           
       
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更新日:2025年09月26日